新幹線に乗って手持ちぶたさを感じたので生きる意味と理由について考えてみた。
最初の缶ビールを飲み干すのとどちらが早いかと言う頃に生きることに意味なんてないんだろうと結論付けた。ましてや理由などある訳もない。
明日は久々の休日だ。そして明後日には、また仕事をすることになるだろう。
働くことには意味がある。そして理由もある。
休みを過ごすことにも意味がある。そして理由もある。
生きると言うことが大きな箱ならばその箱の中に「働く」や「休む」が入っていることになる。
無論、僕は働くために生きている訳ではないし休むために生きている訳でもない。
箱の中の一つずつに意味や理由を見出すことはできるがそれらが入っている箱の意味や理由を見つけ出すことは出来ない。
今の僕は小さくて生きると言う箱はあまりにも大きすぎる。
全体を見渡すことなんて到底出来そうにない。
忌の際に生きることの意味や理由を見出すことが出来るのかも知れない。
その時に素晴らしい意味、かけがえのない理由が見出すことが出来るかも知れないのならば、そのために生きてみるのも悪くない。
二本目の缶ビールを空けながらそんなことを思った。
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