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    彼とは数える程しか会った事がなく、会話を交わしたのは1度だけなのだが一生忘れる事が出来ない。

    僕が22歳の時に初めて会った。彼の年齢は知らなかったが僕よりは随分上だろうと思っていた。

    当時、僕の会社のオフィスは2箇所に別れており1箇所は現在の職場。
    もう1箇所は当時の僕の職場であったマンションの一室。
    彼は、東京に常駐の仕事をしており、僕が入社する前からずっと東京で仕事をしていた。
    たまに広島に帰ってきた時に、お土産を持って来てくれた。
    上司と仲良さそうに話をしていたので、東京常駐の前は、その上司と広島で一緒に仕事をしたことがあるのだろう。
    その上司は、今はもう退職したのだが気難しい人だった。
    そんな上司から「シゲちゃん」と呼ばれて親しげに話をする彼は外見からも気さくな人柄が伝わってくるような空気があった。
    彼は東京から帰って来た時には必ずマンションを訪ねてきた。
    故郷は四国のどこからしい。広島での知り合いは職場の人だけだろう。
    普段、無表情な上司が「シゲちゃんが帰ってくる」と言って嬉しそうにしていたのを覚えている。
    シゲちゃんはマンションに来ては上司とバカ話をして大声で笑ってチャラチャラした感じに見えたので僕にとってはあまり良い印象ではなかった
    シゲちゃんが帰ってきた時には上司は必ず定時と同時に退社し、近所の馴染みの店に行っていた。
    その店には僕も何度か行った事があるのだけど、小料理屋と言った感じで上司は馴染み客らしく裏メニューを出してくれたり、頼んでもないものをサービスで出してくれるような店だった。
    僕は飲みに誘われるでもなく、話掛けられるでもなく、と言った感じだったのでシゲちゃんのことを「一応会社の先輩」くらいにしか思っていなかった。

    初めて会った時から2年位経ったある日、シゲちゃんが入院したと言う事を聞いた。
    あまり知識のない人でも、病名を聞いただけで深刻なものだと解る病気だった。骨髄移植が必要な病気。

    入院したと聞いてからしばらくしてシゲちゃんが職場を訪ねてきた。
    詳しくは覚えてないのだが、病状が安定してきたので外泊許可をもらって広島に来たと言う感じの事を聞かされたように思う。
    入院前のシゲちゃんが、どんなだったかをハッキリ記憶していないせいもあるが健康そうにも見えた。
    とても重病人に見えなかった。

    その日も馴染みに店に行くことになったらしく、何故か僕も上司に誘われた。
    上司とシゲちゃんの話を聞くだけになるので正直行きたくなかった。
    シゲちゃんは、かなりの酒豪らしいのだが一時退院の最中と言う事もあり、お酒は飲んでいなかった。

    シゲちゃんの話では四国に戻ったらまた入院しないといけない、との事だった。
    『広島まで来て、こんなとこ来てても大丈夫なのか?』と心配になった。

    それまでは、シゲちゃんとは接点がなく会話もしたことがなかったのだけど、想像通り気さくな人で、話題も豊富で面白い人だと感じた。
    出来ればもっと仲良くなっていろいろ話を聞きたいと思った。

    病気が完治し復帰したら、また一緒に飲みに行きたいと思った。
    上司とシゲちゃんと一緒に飲みに行っても退屈すると思っていたのだけどシゲちゃんのお陰で楽しい時間が過ごせた。

    シゲちゃんは、別れ際に軽い感じで「頑張れよ」と一言残して行った。
    健康そうに見える外見や、面白い会話のせいでシゲちゃんが重病人であることをスッカリ忘れてしまっていた。
    僕は、なんて言い返せば良いか解らず、ただニコニコしていた。
    本当は「頑張ってください」と、言いたかったのだけど、その時にその言葉を口にすると、フワフワと軽い音でシゲちゃんには届かないような気がした。

    彼の訃報を聞かされたのは、それから間もなくだった。

    享年28歳だった。


    今、僕はあの頃の彼よりも多い年齢になった。
    彼が生きている時には、彼の事を考える時などなかったが彼が亡くなってから彼の事を考える時がある。

    いつか、あの時、彼が僕に残した「頑張れよ」と同じくらい重みのある「頑張れ」を、軽く言える日が来ると良いな、と思う。
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