比較対象の事柄が大きければ大きいほど直面している問題がそれほど大きくないことを感じることできる。
例えば、辛いことや不安なことや悩みがある時に宇宙のことなどを考えると自分が直面している問題がちっぽけなことを認識すると言った具合だ。
もちろんそれで問題が解決する訳ではないのだが、問題に対して前向きに考えるキッカケにはなるのではないだろうか。
ただ実際に問題に直面している時に宇宙のことなどを考えたりはしない。あるとすればその「問題」がそれほど大きくない場合で、まだ余裕がある場合だろう。
つい先日の「オリオン座流星群」とやらが世間をにぎわしました。最近はメッキリ眺めることが少なくなった星空を眺めるキッカケになりました。根気と熱心さが足りなくて残念ながら流星を見ることはできなかったのだけど、少しの時間星空を眺めることで妙に気持ちが落ち着きました。
昔はもっと星空を眺める時間があったのでしょう。その頃感じていたちっぽけな辛いことや不安なことや悩みは星空を眺めることで前向きな考えを持つことが出来ていたのかも知れません。あの頃はあれはあれで必死だったんだろうけど、今よりは少し余裕があったのだろうか。
「オリオン座流星群」の情報を集める際にネットで宇宙のことについての話で面白い話を見つけました。その中の一つで宇宙に人類が誕生した奇跡を比喩した表現に以下のような話がありました。
「腕時計のパーツをバラバラに分解したものをプールに放り込んでプールの水を掻き混ぜたら時計が元の形に戻る」くらいの偶然で人類は誕生したらしいです。
その他にも初めて知る宇宙のことについて驚くのと同時にあまりにも壮大な話過ぎて理解ができなことがたくさんありました。想像が及ばなくてちょっとした不安を感じつつ大きな希望が感じられるような話しがたくさんありました。
辛いことや不安なことや悩みがある時に自分を奮起させる方法として、それよりもスケールの大きい何かを思い浮かべるのは良い手立てなのかも知れません。
ここのところ辛いことや不安や悩みがない。「ない」と言うよりも鈍感になってしまっているのだと思う。
もしも昔の僕が今の僕の立場だったら死にたいくらい辛い状況で言いようのない不安な状況でノイローゼになるほどの悩みを抱えているような状況かも知れない。だけど、今の僕はそれらを感じていない。
最近、自分でも少し変だって思うことがある。辛いこと、不安なこと、悩み、が殆ど感じられないのだ。感じたとしても2~3日もすれば忘れてしまっている。正確に言うと2~3日後には他の新しい問題を抱えている。
辛さや不安な悩みの一つ一つに対して真剣に対処していないのだ。結果、頭を悩ませることを嫌い問題を据え置きにしている。問題をクリアする前に新しい問題が出題されるので一つ一つが中途半端な回答のまま取り残されているような気がしてならない。
オリオン座流星群を見たかったのは、いろいろな問題を切り捨ててしまっている自分を直視したくなくなったのかも知れない。抱えている問題がちっぽけなものだと片付けてしまいたかったのかも知れない。
休日に海へ行きました。僕は釣りが趣味です。下手の横好きですが、海を眺めるのが好きなんでしょう。前述の宇宙のことを考えると・・・と、同じ理由なのかも知れませんが、釣りをしないがら海を眺めてボーっとするのも良し、魚を釣るために試行錯誤しながら没頭するのも良し、車の中で寝るのも良し、とにかく海が好きです。
まだ暗いうちからの釣行です。早起きは苦手ですが釣りとなると話は別です。前日の夜は楽しみで仕方なくてなかなか眠れないほどです。この度は久々のイカ釣りでした。朝早くから行った甲斐もあり4杯のイカを釣ることができました。
帰宅して早速イカを捌き調理します。いつもは刺身で頂くのですがそれでは芸がないと思い立ちパスタに混ぜて頂く事にしました。もちろん、もしもあったとしても華麗に使いこなす技術や素材の良さを存分に引き出す知識は持ち合わせてはおりませんが、満足の行く調味料や食材はありません。適当に塩コショウや醤油などを使ってパスタに絡めます。
「腕時計のパーツをバラバラに分解したものをプールに放り込んでプールの水を掻き混ぜたら時計が元の形に戻る」くらいの偶然で誕生するであろう不味いパスタを食べながら、直面している問題がそれほど大きくなく全てクリアできるのではないかと根拠のない自信が込み上げてきた。
PR